残された世界の続きを生きる
第6章 続きを生きていく
彼女がいなくなってから、
僕はずっと、「何かを終わらせよう」としていたのかもしれない。
悲しみを終わらせたい。
未練を終わらせたい。
喪失の時間を、過去に押し込めたい。
そんなふうに思いながら、もがいていた気がする。
でも、2年かけて気づいた。
終わらない。
悲しみは、時間が経てば消えていくものじゃない。
むしろ、姿を変えながら、静かに、生きていく日々の中に溶け込んでいる。
あるときは重く、あるときは軽く、
あるときは涙になり、あるときは静かな呼吸になる。
そういうふうにして、
彼女の不在は、僕の中に棲みついた。
それは、痛みと同時に、彼女が生きた証でもある。
僕は、彼女と出会った。
愛し合って、時間を重ねて、
最期までそばにいた。
彼女が亡くなったという現実は、変えられない。
けれど、その人が存在していたという意味は、
僕の生き方のなかで、何度でも更新できる。
彼女がいたから、
僕はいま、「生きる」ということについて、
以前よりもずっと深く考えるようになった。
彼女がいなくなったから、
人の痛みに、以前よりも丁寧に耳を傾けられるようになった。
彼女が最期まで心配してくれていた「僕のこれから」を、
僕はいま、ちゃんと生きようとしている。
もしかしたら、彼女はずっと、
僕に“続き”を生きてほしかったのかもしれない。
自分がいなくなったあとも、
僕の人生がちゃんと進んでいくことを、願っていたのかもしれない。
だから僕は、
彼女がいない世界でも、
今は、ちゃんと歩いていこうと思う。
彼女がいなくなっても、
彼女の言葉も、笑顔も、まなざしも、
僕の中に、ちゃんと残っている。
あの時間を、なかったことにはしない。
悲しみも、愛しさも、ちゃんと抱えて生きていく。
彼女がいない世界を、
“生きなおす”のではなく、
“生きつないで”いく。
それが、彼女と過ごした日々に対する、僕なりの返事だ。
僕もあなたも、彼女が居たという真実を
この文章を伝って知り、その人生を歩む。
これがこの文章の終着点だ。
実家に帰ったとき、彼女が使っていた椅子が、
姪や甥、そして母によって使われていた。
それを見て、なぜだかホッとした。
彼女の“忘れ物”は、
これからも、僕らが大切に使っていけばいい。
参考文献
- Dual Process Model of Coping with Bereavement
著者:Margaret Stroebe & Henk Schut
内容:悲嘆の過程を「喪失志向」と「再建志向」の揺れ動きで説明する現代的モデル。
概要(英語):https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/10848151/ - Disenfranchised Grief
著者:Kenneth J. Doka(ケネス・ドーカ)
内容:社会的に承認されない形の喪失(未婚の恋人、同性パートナー、元配偶者など)に伴う孤立した悲嘆の概念。
概要(英語):https://books.google.co.jp/books/about/Disenfranchised_Grief.html?id=evlGAAAAMAAJ&redir_esc=y - Denial of Death
著者:Ernest Becker(アーネスト・ベッカー)
内容:死への恐怖を文化や宗教が否認し覆い隠すという思想。1974年ピュリッツァー賞受賞。
概要(英語): https://en.wikipedia.org/wiki/The_Denial_of_Death - Western Attitudes Toward Death from the Middle Ages to the Present
著者:Philippe Ariès
内容:現代西洋社会は死を「飼い慣らされた死」から「忌避される死」へと変質させたとする歴史学的視点。
概要(英語):https://en.wikipedia.org/wiki/Western_Attitudes_Toward_Death_from_the_Middle_Ages_to_the_Present - Terror Management Theory
著者:Sheldon Solomon, Jeff Greenberg, Tom Pyszczynski
内容:人間は死の恐怖から文化的世界観や自尊心を強化することで心理的安定を得る。
概要(英語): https://en.wikipedia.org/wiki/Terror_management_theory - Resilience to loss and chronic grief: A prospective study
著者:George A. Bonanno
内容:大多数の人は喪失後も大きく崩れることなく“レジリエント(回復力がある)”なパターンを辿るという縦断研究。
概要(英語): https://sites.bu.edu/deborahcarr/files/2020/09/bonanno-et-al-2002.pdf